後輩の見本になるということ

後輩を絶望させない先輩とは。

こんばんわ。今日も今日とて私自身の思考と嗜好を書き出してみる試みです。
実はこの間、職場の後輩が会社をさってしまいました。入社数年の若手。人間的に不器用といったこともなく、職場に馴染めないとかそういった風でも無かったのですが、残念ながら今回、転職を決意したそうです。

なにを思って転職を考えたのか、少し聞いてみたのですが「5年後10年後、自分が先輩方のような働き方ができるように思えなかった」というのが大きかったそうです。
じゃあ、後輩が辞めないですむ先輩ってどんな人だろう、と思ったのが本記事の題材です。

先輩の働き方は、後輩にとって数年後の自分の姿である

私は今の職場で10年程度の経歴になります。私の入社当時、教育係をしてくれた先輩がちょうど10年目でした。思えば当時、「あんなに要領よく仕事できるようになれる気がしない……」と凹んだものでした。それでも、先輩の仕事への姿勢とか哲学(大げさかな)みたいなものは、自分の根っこにあって、大きな影響を受けていると今でも感じています。
後輩、特に新人さんにとって、先輩はその職場で順当に成長していった先の姿として見られるわけです。であれば、日常に疲弊し、楽しさも見出せず、公私の区別もないような働き方を見せるのは、すごく罪深いことなんじゃないかと思います。

自分のプライベートを大事にしない人は、他人のプライベートも尊重しないと見られる

私自身、数年前までは休日に大した予定もないので、ちょっと仕事の都合が入ってしまえば、軽い気持ちで残業も休日出勤も引き受けていましたし、自主的にやっていました。でも病後仕事への考え方が変わってからこう考えるようになりました。
後輩に対して「自分<仕事」という姿を見せ続けることは、後輩に暗に「お前もそうなれ」といっているのと同じだと。
とんでもないパワハラです。そんな先輩になりたくないと、心から思います。だから、今は自分の用事があるときは宣言して定時に上がりますし、有給を取ると宣言したら、状況が変わっても、できるだけ、有言実行を心がけています。自分は休日を大事だと思っている、自分のものも、他人のものも。というメッセージだと思うので。

先輩には、後輩のロールモデルになる義務がある

後輩ができたら、望もうが望むまいが後輩に見られることになります。そのとき、後輩にとっての将来像として恥ずかしくない社会人でいられるか、そういう視点を常に持っていたいと感じています。

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